この文章は人間が書いています。
また、実在の人物とは無関係であり、フィクションです。
洒落怖といえば、コトリバコ。
思い返せば、初めて洒落怖に触れたのはこの話だったと思う。感慨深い。
あらゆる派生を生み出したこの話は、くねくねに匹敵するエポックメイキングだと思う。
今回はコトリバコの民俗学的要素について考察してみる。
概要
・語り手Aの友人S(女性)が、解体予定の納屋でパズルのような木組みの箱を発見、Aの家に持参
・代々神主を務めるMが異変を察知。自らの手を切り、血をSに飲ませる除霊を行った
・ 祝詞のような呪文の後、Sが嘔吐して祓い成功。Mはその後8日間仕事を休んだ
・ コトリバコとは「子取り箱」——間引かれた子の指先や臍の緒を封じた呪物で、女性・子供のみを内臓が千切れる苦しみで死に至らしめる
・1860〜80年代、部落差別に苦しんだ集落がAAという人物から製法を学び、庄屋への復讐・威嚇に使用
・ 封じた子の数で名称が変わる(一人=イッポウ、七人=チッポウなど)
・ Mの神社が管理台帳を持ち、年数後に回収・処理する仕組みだったが、管理者Jの引き継ぎ不備でSが箱を発見する事態に
・今回のチッポウはMが処理。残り2つが未回収のまま存在する
「AA」の正体
呪いの家系、忌部氏
まずは、コトリバコの作り方を知っていた元凶とも言える、語り手Aと同じ苗字のAAという人物にフォーカスしてみよう。
言わずもがな、語り手の言及があったのでこの話の舞台は島根県であり、隠岐の島での反乱から逃げてきた島帰りの人間こそ、AAである。

ここで、隠岐騒動に関わったとされる、ある人物にフォーカスする。
忌部氏は代々水若酢神社の祠官たり。同社は延喜式明神大と証せられ、隠岐の一ノ宮として古来有名の神社にして、維新後国幣中社に列せらる。忌部家は累代大宮司と称し、現宮司忌部伊左丸は、明治維新の際島後豪族の首領と仰がれし正弘の男なり。
忌部正弘である。
忌部氏が代々水若酢神社に務めており、忌部伊左丸が現宮司である、と隠岐島誌に明記されている。そしてその父、正弘が騒動の首領であったことが残されている。
さて、忌部正弘とはどんな人物なのか。
隠岐島誌によると、忌部氏は水若酢神社の大宮司という神職の家系だと触れられていた。忌部氏についてさらに知るために、ここで古語拾遺という平安初期に書かれた歴史書に触れてみる。
著者は斎部広成(いんべのひろなり)。斎部(すなわち忌部)氏は大和朝廷時代に祭祀を担当しており、内容は朝廷の祭祀の由来や変遷を主題としながら、祭祀における忌部氏の役割の重要性を強調している。
つまり、忌部氏は古くから呪術や神事に深く精通した家系なのだそうだ。
また、島根県内でも忌部という苗字は松江市東忌部町・西忌部町周辺に地名として残るほど特定地域に集中しており、全国的にも極めて珍しい。
さて、一度符号の整理をしよう。
話に出てくる特徴として、
AAとは隠岐騒動の敗者で、島根県内の部落に流れ着いた人物
AAはコトリバコ、すなわち呪物の作り方を知っており、命と引き換えにそれを教えた
AAの苗字とは、語り手Aと同じであり、「ここらじゃそうそうある苗字じゃない」と言及されている
コトリバコは、”寺ではダメ、必ず処分は○を祭る神社であること”
対して、忌部正弘ならびに忌部氏とは
忌部正弘とは、隠岐騒動の首領
忌部正弘、忌部氏は神職の家系で呪術のスペシャリスト
忌部とは全国的にも珍しい名前ながら、島根には地名として残るほど局所的には存在する
コトリバコの処理方法として、寺ではなく神社を介す必要があるのは、神職が携わり織り成した呪物であるため、寺ではなく神社での処理が適している、とは考えられないだろうか。
以上のことから、忌部正弘とAAとの符号が多く一致していることが伺える。
つまり、話中におけるAAとは忌部正弘であり、語り手Aは忌部という名字だと推察する。
命と引き換えにコトリバコを作る、と言っていたのも神の教えに背く行為をおこなう、という神職にあるまじき責任を命を持って償うからであろう。
Mの神社と、この話の舞台
なんとか皆を窮地から救った神主Mの呪文、”ノリオ シンメイイワト アケマシタ カシコミカシコミモマモウス”
神道の祝詞は、結びの表現を一般に「かしこみかしこみもまをさく~」と終わらせることが多いため、この呪文はまさしく祝詞であることは間違いない。
そこで、”シンメイイワト”の部分を少し掘り下げてみよう。
この祝詞は漢字に直すと、”神明岩戸”なのではないか。神様、明かり、そして岩戸という単語から想像できるのは、古事記にて天照大御神が岩戸に隠れ、日本全土が暗くなってしまった、という話だ。
その岩戸を開けた超怪力の神様が、天手力男神(あめのたじからおのかみ)。そして、開けられた岩戸から天石門別神(あめのいわとのわけのかみ)が生まれた。(ちなみにこの二柱は同一神とする神社もある)
さて、祝詞に話を戻す。
”神明岩戸”とくるなら、その続きは”開けました”が相当だろう。
これは、天手力男神の名の元に、神明岩戸を開けさせていただきました、即ち天照大御神が御光臨され、封印が解かれ光が戻られました、という邪気払いの意味を持つ祝詞なのではないだろうか。
よって、Mが属しているのは、天手力男神の力を借りた祝詞を使う神社、すなわち天手力男神を祀る神社なのではないか、と考えた。
天手力男神を祀る神社が、島根県にある。
その神社とは、大祭天石門彦神社。

島根県浜田市に在し、忌部一族とも関わりがあったとされるが、定かではない。
発した祝詞から祀る神様にあたりをつけ、そして島根県という場所までも考慮すると、Mはこの神社に属していたのではないだろうか。そして、コトリバコの舞台となった土地も、島根県浜田市この近辺ということが言えないだろうか。
コトリバコの仕組み
なぜ、パズル式なのか-呪術廻戦から考える-
そこに箱があれば、開けたくなるのは人の常。
パズルがあれば解きたくなるのもまた然り。
封じた子供の一部を呪物とするのなら、核となるその中身は取り出されることのないよう、絶対に開けられない仕組みで封じたいはずだ。
なぜ、コトリバコはパズルのような見た目なのだろうか。
パズルといえば、洒落怖ではリンフォンが有名だろう。
また、ルービックキューブのような箱を開けると「天皇ノタメ 名誉の死ヲタタエテ」とのメモ書きとともに大量の爪と髪の毛が出てきて、関わった人物が死んでいった洒落怖、”髪が入った箱”。
洒落怖ではないが1987年公開の、「ルマルシャンの箱」というパズルボックスが登場する”ヘルレイザー”が4Kリマスターされたことも記憶に新しい。
ただしこちらはパズルを開けると究極の快楽を得られるよ、という餌で封印を解き、悪い奴らを召喚する、という明確な罠ではあるが。

さて、洒落怖から話が飛んだついでに、漫画の呪術廻戦に触れてみよう。
呪術廻戦には、「縛り」という概念がある。簡単に言えば、自らにルールや制限を課すことで術式効果を高める仕組み。たとえば自分の能力を開示して、不利な状況をあえて作る。それを代償として、通常よりも強力な力を得る。
これは何も呪術廻戦の発明ではないだろう。
HUNTER×HUNTERの制約と誓約、鋼の錬金術師の等価交換など、あらゆる漫画で似たようなパワーアップの仕方は散見される。
総じて、何かを代償、あるいは生贄にしてバフをかけるという考え方。
実は、これは漫画に限った話ではない。
好きなものや趣味嗜好品を断ち、禁欲することで願いの効力を高める、あるいは早く叶える(ような気になる)というある種の民間信仰は、誰でもやったことがあると思う。
また、古来から伝わる人身御供も、思想の根っこは同じだと思う。命を断つ、身を切る、犠牲にすることで効力を得る。供儀の思想は世界中に散らばっている。人間は何かを失う代わりに、何かを得ることができると信じている。宗教的かつ呪術的な、超自然と人との相互性でありギブアンドテイクなのだろう。その過程に命が挟まれば、神聖の格は上がる。本能でそう感じている。
神道でも斎戒といって、穢れの元となる食事や言動、振る舞いを断つことで、神性を高め神事に向かうという考えが強く根付いている。
柳田國男は著書「禁忌習俗事典」にて、
火の物断ち。願掛けをする者が煮たり焼いたりした食物を食べぬ風習は各地に存するが、これも一種の祭前の忌であった。
と触れており、願掛けのために何かを断つ、さらには祭事のために物を忌む、という風習が古くからあることが伺える。これは日本人特有の「穢れ」を「忌む」という思想から成り立っていると思う。欲望のままに過ごすことは穢れを呼び寄せ、すなわち神性を遠ざける。我々の中には、形容しがたい「穢れ」に対するアンテナが、感覚として内包されているのだ。
つまり、日本人であり、神職であった忌部正弘にも、「何か」を断つことで「何か」を得られるという考え方は根付いていたはずなのだ。
そう、コトリバコにも供儀の思想を及ぼしている。
パズルという仕組みをあえて持つ事は、封印を解かれる可能性を残しているのだ。
それは、封印としての永続性を断つことで、呪力の底上げを得るためだ。あるいは、「開けられる可能性を残す」という制約により、呪いの力を増幅させる。
封印された子供の怨嗟をベースに呪物が構築されているのなら、そちらの視点を持ってもいいかもしれない。
完全に封印されるよりも、解放の余地、もしくは外界との繋がりが残っているほうが、子供たちの怨みが鎮まることのない気がしないだろうか。
怨嗟の矛先を、一縷の外界との繋がりと、解放されるというわずかな蜘蛛の糸に向けられた方が、持続しつづけるのではないか。
パズルという構成は、いずれにせよその呪力の根源をより長くより強く保つためのものなのだろう。
7という閾値
コトリバコの呪いの強さは封じた子の数で決まる。一人でイッポウ、七人でチッポウ。その先——ハッカイだけは、絶対にダメだとAAは言い残したそうだ。
なぜ、八人の子を封じるのは、だめなのだろうか。
日本において八は特別な数である。
八百万の神、八岐大蛇は数え切れないほどの数、という意味で八という数字を冠する。
君が代の「千代に八千代に」も、永遠にというニュアンスで八が使用されている。
八方美人、八つ当たり、八方塞がりにおいても等しく、どこから見ても、どの方面においても、という意味を持っている。
これらに共通するのは、八は「無限」、転じて人智を超えた領域を示す数字として扱われてきたという点だ。
漢字の形が末広がりで縁起が良い、とも耳にするだろう。
対して、七という数字はどうだろうか。
八が無限を現す数字であるのと対照的に、七が「有限」「完結」を示すのだと考える。
七にまつわる民俗
四十九日とは、七七日(なななのか)のことだ。喪に服す期間が明ける、ひとつの区切り。
仏教では人が亡くなると、七日ごとに七人の仏様が順に審判を下していく。
初七日に不動明王が殺生を、二七日に釈迦如来が偸盗(盗み)を、三七日に文殊菩薩が邪淫(不倫や不貞)を、四七日に普賢菩薩が妄語(嘘)を、五七日に地蔵菩薩が飲酒を、六七日に弥勒菩薩が心の三毒(心が清いか否か)を問う。
そして七七日。四十九日に、阿弥陀如来が最終判決を下す。故人の魂の行き先は、ここで初めて確定する。
ちなみに有名な閻魔様の裁きとは、五七日に地蔵様と共に行われる。

七人の仏様から七日に一度、合計七回の裁きを受ける。
仏教では、七という数字で区切りを付ける。
お釈迦さまは生まれてすぐ七歩歩き、「天上天下唯我独尊」と唱えた、とされている。
人間は悟りを開くためには、六道輪廻という六つの世界を渡り切らなければならず、悟りを経て、七つ目となる仏の世界へと踏み入れるということを示唆して七歩進んだという。
そこから七という数字に、区切りの意味を持たせるようになったと考える。
旧約聖書でも同様だ。
神は六日で世界を創造し、最後の一日を休んだため、合計で七日。よって、世界創造は七日で完結する。
諸説はあるが、一週間もこれに倣って七日で完結し、また巡る。
そして、日本にはお七夜という風習がある。
「産婦や生児の忌は三日、七日、二十一日と薄れてくる。産後の儀式的行事はいずれも忌の薄れていく段階に対応し、嬰児が社会に認められていく度合いに照応している」
生まれてから七日までは妊婦と赤子ともに忌の期間である、とされている。
先ほども穢れについて少し触れたが、出産によって「穢れ」をまとった状態を、「忌む」すなわち遠ざけるという期間が、産後の忌である。忌が明けるということは、日常を取り戻すということである。
また、
血忌。妻が産したときの夫の忌である。七日の間は神社仏閣ともに詣ることを禁じられている
死人のあった家の火で飲食し喫煙した者には、七日の間漁に出ることを戒めていた
とあるように、穢れをまとってから日常を取り戻すには、七日という日数が民俗学的にも多用されている。
そう、民俗学における七とは、「穢れが留まる一区切りの数字」なのだ。
以上のことから、聖書においても、仏教においても、そして日本人の習慣からでも七には一区切りの意味があると考える。
七とは「人がコントロールできる有限」と言い換えてもいいだろう。
チッポウまでは、その呪いはコントロールが可能であり、人間の理の中にあり得る、手の届く呪物でいられる数なのだ。しかし、八を超えるとまさしく人智の理を超え、神々の領域へと歩を進めてしまう。ブッダのように。
だからハッカイは、民俗学的にご法度であり、作ってはいけないのだ。

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